ゆるい幸福と強烈な幸福

無料コンテンツが与えてくれる幸福の総和が努力して得られる幸福よりも上回ってるからニートが増えるって仮説は正しい気がするな。
今はネット上に無料のものが溢れていてそれはそれなりに面白くていくらでも時間を潰せるようなものなんだよね。
でその楽しみを覚えてしまったら強烈な幸福を得るための努力をすることが億劫になってくる。
もちろん努力して得た幸福の快感は知ってるんだけど
簡単にそこそこ満足できるものが手に入っちゃうようになっちゃったからやっぱり億劫に感じてしまうんだよね。
このことをいけないと思ってしまうけれども本当にいけないことなのかな?
これまでは努力が美化されすぎてて平穏さが不当な評価をされていたのかもしれないな。
うーん。しかし罪悪感があるってことはそれだけ刷り込まれてるってことなんだろうな。
なかなか難しい問題だ。


ところで構造で見ればカレーも肉じゃがも変らないって話があったけど
これは本当にその通りなんだよね。
時々自分にだけ違いがわからないように見えることがあるんだけど
それは俺が構造で見てるからなんだね。
ということは構造を良く見てという俺の口癖はあながち間違っていないんだよね。